ほわいとばんど買う金があったらそれを寄付しろ、というのは全くもって正しい。しかしながら正論は正論というだけでは必ずしも力を持つわけではない、あるいはそれこそ流通の場に上らないように思う。実際に、問題自体は厳然として存在していたわけだから。もちろんマーケットに消費されるであろう商品として載せられるよりも、よりよいアプローチがあり得る(た)ことは確かであろうけれど、今考えなければならないのは、入り口はどうあれ少しでも関心を持つ人々に対して、例えばフェアトレード等を示唆する筋道ではないだろうか。

僕は、倫理的には美しく映るかもしれないところの自己犠牲(と傍目には映るところのもの)を強いてしまうような特殊な例にすがる(あるいはそれを夢想する)のではなく、そこに参与していくことに対して少しでも負荷の低いシステムを造るほうが生産的であるように思う。もちろんそうした特殊な例の善性を肯定することについてはやぶさかではないけれど。